2012年(平成24年)4月1日に廃止された、長野電鉄屋代線を2013年元旦に訪問しました。
長野電鉄屋代線は、須坂駅から屋代駅までをつなぐ、24kmの路線です。 1922年(大正11年)6月10日に、河東鉄道によって生糸や鉱物を運ぶために開通しました。 2011年時点で累積赤字を50億円ほど出しており、人口減による利用者の増加が見込まれないため、廃線となりました。
小学生の頃に、一度だけ乗った記憶がありますが、再び乗ることはなく廃止されてしまいました。 今回は須坂駅から車を利用して全駅を辿りました。
長野電鉄長野線の途中駅として、かつては屋代線の終点として利用されていた須坂駅。 コンクリート二階建ての駅舎に車両基地がある、長野電鉄で最も大きい駅です。
屋代線の列車は4番線ホームを利用していました。
須坂駅を出発すると、はじめにこの踏切を渡ります。
踏切は複線が通っているように見えましたが、一つは作業車用の側線でした。
反対側には、須坂駅が見えます。
この辺りはまだ住宅が多く、その分踏切も多く設置されています。長野盆地を見渡しています。
須坂駅を出てからの初めてのガーダー橋です。この後、百々川・鮎川を渡る長い橋を経て、井上駅に到着します。
屋代線は、早い内から多くの駅が無人・ワンマン列車化されています。 この駅も利用者数が少なく、昔から無人駅となっていました。
一面単線ホーム。
この時点では、まだ保安機器や架線などは撤去されずに残っていました。
井上駅を出ると、国道403号線が通る橋があります。
この橋を境に民家が減り、水田とりんご畑が続いていきます。
木造のしっかりした駅舎です。現在はバスの待合所として利用されています。
駅内は絵などが飾られており、廃線された当時のままになっていました。
相対式ホーム2面2線で、留置線がある大きな駅です。かつては屋代線唯一の鉄道変電所が設置されていたようだ。(須坂方面)
(屋代方面)
屋代方面の踏切。踏切はすべての箇所が、遮断棒と警告機が取り除かれていたが、遮断機のみはブルーシートに包まれた状態で放置されていました。
1966年(昭和41年)7月1日に長野電鉄によって開業しました。 長野電鉄により新たに設置された3つの内2つの駅が、利用者が最も少ない駅になっています。(もう一つは象山口駅) 奥に見える高架には上信越自動車道が走っています。
雪国らしい特徴的な形の駅舎。
(屋代方面)
ロータリー付きの木造駅舎。 こちらもバス待合室として利用されています。
相対式ホーム2面2線 貨物用の側線があります。ここにはモハ600形604が留置されていました。
本線には長野電鉄2000系A編成(マルーン色)が留置されています。
駅の駐車場には、撤去された踏切の部品が放置されていました。 踏切警報灯が全て集まっている様は、まるでPortalのコアのようで不気味でした。
この辺りは、国道に沿って民家が集まっています。信濃川田駅を出て、しばらくするとカーブがあり、その途中にある踏切です。 この踏切の先に須坂側からの初めてのトンネルがあります。
長さ約110メートルの、石積みトンネルです。(屋代方面 須坂側口)
(須坂方面 屋代側口)
1951年(昭和26年)11月13日に長野電鉄によって開業しました。 駅舎は小さいですが、民家が多いためか、晩年は信濃川田駅よりも多くの利用者があったようです。
(須坂方面)
(屋代方面)
長さ約50メートルの、石積みトンネルです。
廃止時は1面1線のホームであったが、かつては相対式2面2線のホームと貨物側線を持つ駅で、石材を運び出すために利用されていました。
この駅も駅舎が特徴的な形をしています。(須坂方面)
屋代線中間駅で最も駅舎が大きく、利用人数が多かった駅です。 単式1面、島式1面の2面3線のホームがあります。
バス待合所などとして整備されていためか、廃線となり半年以上経過しているにもかかわらず、駅舎内は綺麗でした。
駅舎側が3番ホームになっています。(屋代方面)
転轍器のテコが並んでいました。須坂にCTCが設立された際に利用されなくなったと思われますが、そのまま展示されていたようです。
次の象山口駅との中間に、千曲川につながる川のガーダー橋がありました。上流には松代大本営があります。
1934年(昭和9年)5月24日に長野電鉄によって開業しました。(須坂方面) 写真手前は踏切の跡ですが、既にレールが取り除かれ、アスファルトで埋められていました。
(屋代方面)
駅から少し離れた場所に、蒸気機関車の標識がありました。他の場所では電車の標識になっていたのに、なぜここは蒸気機関車? なお、屋代線は開業して4年後には全線が電化され、蒸気機関車は短い期間しか走っていなかったようです。
国道に面した駅ですが、駅の案内がないので、ただの公衆トイレにしか見えません。
(須坂方面)
長さ約150メートルの、石積みトンネルです。(須坂方面 屋代側口)
後年、コンクリートで上部が補強されたようです。保線用のためか、竹製の梯子が配備されていました。
この踏切を挟んで須坂側にトンネル、屋代側にはガーダー橋がかけられていました。
廃線時は1面1線でしたが、かつては相対式2面2線で貨物の扱いもあった駅です。
かつての2番ホームも雑草に埋もれつつ残されていました。 JR線からの直通特急があった際に、普通列車をこの駅で退避させていたようです。
(須坂方面)
上越自動車道とクロスしている場所にある踏切跡です。
木造の駅舎。駅舎というよりも、ただの民家っぽいたたずまいです。 左側の増築されたような木造の箇所が、改札となっています。
(須坂方面)
(屋代方面)
屋代駅を出ると、しなの鉄道の線路と並走を始めます。
また、このポイントでは北陸新幹線が交わっています。 交わるポイントが三角になっており、ここには新幹線用の鉄道変電所が設置されていました。
現在は、しなの鉄道単独の駅として利用されている屋代駅です。
長野電鉄ホームへの通路は、なぜか木造…… イベントなどで、この通路が利用されることがまだあるようですが、取り壊されるのも時間の問題でしょう。
長野電鉄屋代駅ホームです。待合室も、しなの鉄道のホームと比べて寂れているのがわかります。
Canon EOS 5D Mark II
Canon EF28mm F1.8 USM
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Canon EF50mm F1.4 USM
Canon EF135mm F2.0 L USM
探索日 2013_01_01 2013_01_02
初出 2015_08_03