記事


志免鉱業所跡を巡る

志免町。そこは廃校と廃線が広がる住宅街であった。

以前から産業遺跡として注目していた、志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)。 博多に行く機会があったので、わずかな時間を利用し、見学に行ってきました。 時間があれば、廃線跡を辿ってみるのが良さそうです。

志免鉱業所

福岡空港前からバス(第3系統)に乗り、しばらくすると志免鉱業所竪坑櫓が姿を現した。 15分ほどで東公園台二丁目バス停に到着し、はじめに志免町総合福祉施設シーメイトに向かいました。 この写真は駐車場から撮影したものです。

志免鉱業所

竪坑櫓は竣工されてから約70年ほど経っており、崩落の危険が多少なりともあるので、半径40mが立ち入り禁止となっていました。 高さ47mで、竪坑が地下430mまで続いています。

志免鉱業所

志免鉱業所では、石炭を採掘していました。 竪坑櫓だけでなく、斜坑もいくつか残っています。 写真左下に写っているのは第五坑西側坑口です。 コンクリート製アーチ構造で5度の傾斜がある斜坑になっており、ベルトコンベアーが通っていたそうです。 この斜坑は1918年(大正7年)に開坑しました。

志免鉱業所

すぐ近くには、第八坑本卸坑口があります。 こちらもコンクリート製アーチ構造ですが、傾斜角が40度もあります。 さらに驚くべきことに、延長距離は約690メートル! この斜坑は、ケーブルカーによる石炭の運搬や、空気を送るために利用されていました。 開坑は、竪坑櫓ができる少し前の1938年(昭和13年)になっています。

志免鉱業所

反対側に、産出された石炭が展示されていました。

志免鉱業所

駐車場の反対側のグランドから撮影。

志免鉱業所

公園側に回ってみると、階段の構造を確認することができました。

志免鉱業所

鉱業所跡の至る所に、説明が書かれている看板が設置されていました。 当時の写真なども一部あり、とても興味深いです。

志免鉱業所

ヤードとして利用されていたであろう場所は、平坦で広い点を生かして、グランドになっていました。 フルサッカーコート3面分くらいありますが、竪坑櫓のフェンス内にボールが入ってしまうと取ることができないという難点があります。

志免鉱業所

鉱業所跡地につくられた、総合福祉施設シーメイト。 鉱石所のリーフレットや、職員の方に声を掛けると内部を撮影した映像(28分)を見る事ができるそうです。

また、近くにある志免町歴史資料館(志免町志免中央1丁目2番1号 09:00-17:00 月曜休室)には、当時の状態を再現した模型などもあるそうです。

志免鉱業所

バス停の近くにあった、志免駅跡が記念公園として残されていました。

志免鉱業所竪坑櫓のコンクリート塀は崩落し鉄筋が剥きでており、年月の経過を思わせます。 竪坑櫓が壊されずに残っているのは全世界でも3カ所のみということなので、静かに眠りながらも志免町の人にモニュメントとして愛され続けていくのでしょう。


リンク

九州ヘリテージ - 志免鉱業所竪抗櫓

茜堂の鐵路趣味|廃線勝田線散策

使用機材

Canon EOS 5D Mark II
Canon EF24mm F1.4 L USM

記事情報

探索日 2015_07_25
初出 2015_07_29