東海道本線の真鶴駅から根府川駅の区間は、現在真鶴隧道で結ばれていますが、昭和47年(1972年)までは海寄りを走る旧線がありました。 この旧線には、長坂山隧道 八本松隧道 赤沢隧道の3つのトンネルがあり、大正15年(1926年)に開通し、50年近く利用されてきましたが、強度的な問題で廃止されてしまいました。 今回は建設から87年、廃止されてから41年経つ東海道本線旧線を歩いてみました。
東海道線に乗り、真鶴駅に降りました。 石名坂(いしなざか)バス停を目指したい所ですが休日はバスが無いため、タクシーに乗りました。
タクシーを降り、みかん畑のある海方面へ下って行きます。 この松本農園の看板がある小屋の辺りに、畑に入る道があります。
トンネルの真上にあるみかん畑に出ると、架空裸線路支持柱が見えました。 これは、信号用に単心型架空ケーブルを沢山吊るすために利用されました。当時は多芯ケーブルがなかったので、このような設備が利用されていたようです。
林業の運搬に使われたと思われるモノレールです。思っていたよりも線路との高低差があり、竹にしがみつきながら下っていきます。
獣道を抜け、ようやく廃線跡にでました。 熱海川に見える、長坂山隧道(東京方口)へ進みます。
長坂山隧道の入り口に入りました。 東海道線本線というだけあってとにかく広い! 今まで行った事のある廃線のトンネルは、全て単線で貨物専用のところばかりだったため、今回のような複線で旅客列車が通る所は初めてです。
トンネル内はJR東海の資材置き場として利用されているようです。 なお、平成19年頃に白骨化した礫死体が見つかったそうです。
複線のトンネルのためか、上り線側の壁に設置されていた背行歩行の注意看板。
長坂山隧道真鶴側出口。外を見ると、真鶴トンネルから出て来たE655系が走っている場面に遭遇しました。
ここから東京方面に歩きます。入り口付近は、写真右側のような墓のような形にコンクリートが打ってあり、少し気味が悪いです。
長坂山隧道を出て、すぐに八本松隧道(熱海方口)が見えました。 入り口はアーチ石積みとなっています。
震災の復旧のためか、途中からコンクリ造りに変わっています。 手前のコンクリートが東京側で、奥の石積みが熱海側です。 コンクリートを打つ際に使った木枠の跡が時代を感じさせられます。
この工事を行って、トンネルが長くなったせいでしょうか?繋げた箇所に退避場所が追加されていました。 大人が二人で立ったまま入れるくらいの大きさです。
廃線らしい架線跡。下り線は保守用に通る車の跡がありますが、下り線は完全に植物に覆われてしまっています。
赤沢隧道の入り口が見えてきました。手前に見える鉄板は、ガーダー橋に車が通れるように敷いたもののようです。
奥の方に、東海道線を走るスーパービュー踊り子(251系)が見えます。 下には国道135号線も通っており、景色がいい感じでした。
赤沢隧道(熱海方口)です。こちらは山を切り開いた隧道ではなく、北側にある採石場の落石から守るための覆道の役割をしてます。 開通後に列車を運用しながら建設したようです。
海方面に客車の窓から風景を見渡せるように、穴があいています。 かつては「海の見えるトンネル」と言われていました。 入り口側の数10メートルは、古レールによるセントルで補強されています。
途中、グラフィティがあるなど、いかにも廃墟らしい雰囲気です。
東京側の出口の数10メートルは、箱形式ラーメン構造となっていました。もしかすると震災後に追加された設備かもしれません。
赤沢隧道を抜けて少し歩くと新・旧線合流地点にたどり着きました。 真鶴隧道から出て来たE231系が見えます。
ついでに根府川駅に寄ってみました。 この駅は東海道本線唯一の無人駅となります。(真鶴駅管理) 駅の規模も小さく、かろうじて快速が停車します。
関東大震災の際に、駅が滑りを起こし、汽車ごと海に転落し112人が死亡した事故の慰霊碑です。 根府川駅の災害時の写真は新潮社 関東大震災の記録で見る事ができます。
東京側は、駅のホーム手前で大きくカーブしており、当日も写真撮影をしている人が数名居ました。
廃止後しばらく経っている割には綺麗で、架線柱や保安設備なども残っている上、近くで現行線が走っている珍しい廃線でした。 今まで探索した廃線の中で、トンネルがもっとも広く神殿のような赤沢隧道に感動しました。
Canon EOS 5D Mark II
Canon EF35mm F1.4 USM
Canon EF50mm F1.4 USM
Canon EF85mm F1.8 USM
三脚
写真提供 ありの木様
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探索日 2013_03_09
初出 2013_06_02