旧日本軍の要塞が点在する千葉県の南房総市と館山市まで探索に行きました。
南房総市富浦駅に到着!奥に見える駅舎は、びわの葉の色をイメージしているそうです。1
市営バスは電話予約制。30分前に連絡を済ませる必要があります。
富浦駅より、バスで10分ほど。駅前でレンタサイクルも営業していますが、上り坂が激しいためオススメできません。
インフォメーションセンター(大房岬レストハウス)前でバスを下車し、資料などを貰う事にしました。
到着してみると思っていたよりも高低差が激しく、全て回るのは厳しい事が分かりました。
作戦会議中。貰った地図がアバウトすぎて分かりにくい中、NPOの方が丁寧に説明してくれました。
今は公園・ホテル・キャンプ場・釣り・海水浴など多目的に使われている大房岬ですが、戦時中は山全体が要塞施設となっており、軍事関係者しか立ち入る事ができなかったようです。
展望台近く北側にある弾薬庫入り口。
アメリカ軍が上陸後、施設を片っ端から爆破したそうですが、頑丈に作られたものが多く破壊を諦めたものが残っているようです。
進んでみると、反対側に貫通しており、砲台跡に繋がっています。
中に入ると、二つの部屋がありました。 通路天井にある穴は通信用として地上に貫通しています。 穴の中は真っ暗で何も見えず。懐中電灯を取り出し、内部を照らしてみました。
中を見ると8帖ほどの広さの部屋がありました。隣の部屋も同一の広さでした。
地面はぬかるんでおり、スニーカーで中に入ることはできませんでした。
内部は整備されているのではないかと疑うほど綺麗な状態でした。 電気配線の跡などが残っており、当時の様子がうかがえます。
内側から外を見た図。
反対側から。歩くたびに通路に落ちている木を踏む音が響きます。
左側に何らかの穴が見えましたが地中に埋まっており確認できませんでした。
反対側入り口
通信用の穴。「弾だ!弾を持ってこい!」と穴に向かって叫んでみましたが、砲弾が飛び交う事の無い平和な今、
こちらを使わなくても聞き取れるようでした。
砲台跡が花壇に改築されていました。
発電所跡。入り口が封鎖されています。
探照灯施設の通路口にたどり着きました。撮影地点の真下、通路口反対側は要塞として使われていた建物がありました。
通路を挟んで外壁と内壁が分かれた、コンクリート造の建物がありました。
内部は16帖ほどの広さで、兵士の休憩や物資の保管に利用されたようです。
通路口から探照灯施設に進みます。40mほどの長さの下り気味の通路となっており、やはりコンクリートで強固に造られていました。
探照灯施設です。 館山に接近する敵船を照らす探照灯として、奥の部屋にフレネルレンズを収納しておき、 利用する時に上部に移動して使うことを想定していたようです。 残念ながら、作っている最中に飛行機が飛んできてしまい、利用される事はなかったようです。
レンズを引き上げるための、紐を通す溝や、電気配線跡が観察できます。
こちらの施設もアメリカ軍が発破しようと試みたようですが、あまりにも頑丈すぎたため諦めたそうです。
左側に通路があるように見えますが、コンクリートで封じられていました。
第二次世界大戦中の軍事施設がこれだけ綺麗に残っている事に感心し、驚きました。
施設を離れ、海岸方面の南けい船場にたどり着きました。
大砲の試射が行われた跡が山肌に残っていました。
コンクリート製のレールがあるようですが、きっかり満潮の時間で何も観察することができませんでした。。。
内房線で館山に到着。南国をイメージさせるような駅舎でした。
館山駅からはJRバス(城山公園前~西岬~洲の崎経由)に乗り換え、坂田を目指します。
坂田までは、ひたすら海岸沿い(県道175号線)を走ります。
バス停から、商店や民宿がある辺りで道を逸れ、少し歩くと林道に繋がっていました。辺りが暗くなり始めたので急いで砲台跡を探しました。
道を進んで行くと左手に大きな空間が現れました。こちらが第二砲台跡のようです。 円形のコンクリート造土台で直径が4mほどあり、大きなカノン砲が設置されていた様子が伺えます。 残念ながら周りは竹やぶに囲まれており、海への視界は閉ざされていました。
土が埋まっていましたが、通路のようなものも確認することができました。
更に進むと、司令室のような壕が出てきました。
奥の天井が一部崩落しており、瓦礫が流れ込んでいました。
6帖ほどの広さがあり、中の空気は乾燥していました。
侵入者の確認と防護のための窓付き壁がありました。 こちらの施設も崩落しかけているとは言え、綺麗に残っていました。
よく見ると、外部にレンガ・内側にモルタルが利用されているのが分かります
貫通しているため、ただのトンネルかと思いましたが、調べてみると弾薬庫として利用されていたようです。 正面壁をよく見ると、迷彩色に塗装されたと思われる模様が浮かびます。
更に進んで行くと、兵舎跡地を利用して養蜂が行われていました。
近くに井戸の跡がありました。
至る所に古いコンクリート造の基礎や、水路が放置されています。
更に進んで行き、薮が深くなっていきました。
もう遺跡はないかと戻ろうとした頃に別の弾薬庫が現れました。
錆びた自転車が入り口に放置されていました。
弾薬庫として利用されていたようです。
入り口前の空間は平坦に広く取られており、物資を持ち出すのに都合が良い造りとなっていました。
入り口の通路を進むと、更に広い空間に出ました。
よく見ると、レンガ積みによる造りであることが確認できます。 中にはコウモリやゲジゲジ(その他得体の知れない物体)が居たため、虫嫌いの私たちは撤退せざるを得ませんでした。 奥の方に通路のようなものがあったので、もしかすると先ほどのトンネル式弾薬庫のように、山の反対側に繋がっているのかもしれません。
すっかり太陽が沈む頃。
帰りのバスに乗り込み、館山駅に戻りました。
館山と言ったら寿司だ!ということで評判のいい寿司屋を探しました。
今回は旅館から徒歩10分の位置にある白浜屋本店にお邪魔しました。
「カウンターで食べるの始めてなんだけど……」「回っていない!」などの思いを馳せながら席につきました。
夜遅いためか、他にいるお客さんは、1人の常連さんのみで、非常に落ち着いた雰囲気でした。
お通しとして、スズキの卵が出てきました。熱が通っており、柔らかいたらこに近い食感でした。
出汁がとても良く、次の料理に期待が膨らみました。
館山料理「アジのなめろう」あじを細切りにして、ショウガ・ネギ・ミソと混ぜ込んだ料理です。
今まで食べたどのアジよりも美味しかったので訳を聞いてみると、当日入荷されたものは網ではなく、一本釣りの身の痛みが少ないものということでした。
店主はシャ
リイなようで、始めはこちらも緊張してしまいましたが、次第に打ち解けていきました。
館山のアワビ・ウニ禁漁解禁に関する地魚寿司事情や、魚の仕入れ値を教えてもらうことができました。
原価を聞く限り、なかなか苦労している様が伺えます。
地魚寿司(鮑入り)松:2100円です。
比較物が無いため、大きさが分かりにくいですが、成人男性が一口でギリギリ食べられる位の大きさです。
体積比で江戸前寿司の3倍ほど大きさとのことです。
大きさもさることながら、味も今まで食べてきた寿司の中で最も美味しいと言えるものでした。
機会があればまた行きたいと思います。
海から近いためか、至る電柱に標高が記載された看板が備え付けられていました。
宿泊費が安い旅館を探し、駅から近い館山旅館(本館)に宿泊しました。
素泊まりで3800円でした。
写真提供 ありの木様
Copyright(C) 2012 ARINOKI. All Rights Reserved.
探索日 2012_02_04-05
レポート初公開 2012_02_29