国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
「雪国」(C)川端 康成 1899(M32) - 1972(S47)
国語の教科書にも掲載される、有名な小説「雪国」の冒頭文です。 新潟側から上越線に乗り、群馬県最北端であり、地上との標高差が最も大きい地下駅である"土合駅"に行ってきました。
上越新幹線を使い、東京から日帰りのプランにしました。 一日で、土合駅だけではなく、隣の湯檜曽駅にも行く事ができます。
開通時は、清水トンネル(1931年[昭和6年]落成)のみの単線でした。 新潟・群馬間の高い山脈を通すため、ループ線を作る等かなり工夫されたようです。 この路線は現在、上り線として利用されています。 その後、高度経済成長期の頃に、群馬の湯檜曽駅から、新潟の土樽駅までの長い新清水トンネル(1967年[昭和42年]落成)ができました。 このトンネルは土合駅を深い所で通過していましたが、下り線に地下ホームを設置することになりました。 このような駅の歴史上の理由により、ホームの標高差が大きくなっています。
地上ホームが上りで、地下ホームが下りです。分かりやすいでしょう。
東京駅からE4系 MAXときに乗り、越後湯沢駅を目指します。12:00発の上越線に間に合うようにします。
暫く待っていると115系列車が到着しました。山間部の寒冷地・急勾配路線の運用を想定された設計の車両です。
土樽駅。冒頭で紹介した雪国の信号所は、この駅を指します。
昔は信号待ちのための線がありましたが、ご覧の通り新しく作られたホームによって潰されていました。
土合駅の上りホームに到着しました。新清水トンネルが開通するまでは、このホームのみでした。
地上ホームは10両編成までであれば停車できるほどの長さがありました。
特急列車の運用があった頃の名残でしょう。
駅舎に向かいます。現在のホームは一面ですが、ホーム左側にも線路の跡がありました。
単線だった頃に待ち合わせに利用されていたものと思われます。
上りホームから改札までは、駅舎に入り直進50mほどとなります。(写真:改札付近から、上りホーム出口方面)
改札の反対側辺りに、上りホームを見る事ができる出窓が設置されていました。
改札を出ると、待合室がありました。
駅員さんは居ないので、入場の際は改札に設置されている発券機から整理券を取る必要があります。
整理券発行機自体は、鶴見線に設置されているものと、同じものが使われていました。
谷川岳に上る人へ向けての喚起掲示です。
もっとも現在は、谷川岳へ行く人の殆どが、水上駅からのバスを利用します。
ひとまず、駅舎正面を撮影。
観目当ての観光で来た人が以外と多い印象でした。(家族連れx3 一人x3 バイクツーリンググループx1)
改札から北側に進むと、すぐに連絡通路への曲がり角が見えます。
赤線が駅舎から、地下ホームまでの通路です。中間辺りで地下階段が始まります。 それまでは連絡通路が通っており、国道291号線と湯檜曽川を越えているのが分かります。
湯檜曽川を越えます。この通路だけは、トンネルに合わせたように、かまぼこ型となっています。
斜坑入り口にたどり着きました。曲がらずにホームまで一直線に繋がっているため、迫力満点です。
あと少しです。この辺りは地下水が湧き出ており、水の流れる音が絶えず聞こえて来ました。
上りと同様、昔は特急の通過と停車ができるように、昔は本線と長いホームに隣接した待避線という形で運用されていたようですが、 今は、待避線を潰して、その上にホームを増設し、本線のみを利用しています。
待合室です。この地下深い中、お手洗いが設置されており、地上までのトイレ地獄に陥る心配はありません。
湯檜曽駅側はもやがかかっていました。駅の改造工事がどのように行われていたか分かります。
更に湯檜曽駅側に進むと、現在のホームの端にたどり着きました。
帰りに列車に乗って地下ホームを通過しましたが、昔のホームは相当な長さがあります。
土樽側は霧などがなく、見通しは良好でした。待避線があった頃の跡が残っています。
下り方面の電車が、上り列車の出発前に来るということが分かったので、列車入線を動画で撮影してみました。 長いトンネルかつ、人が少ないためか、列車の音が長く聞こえる気がしました。
地下ホームに降りましたが、次の上り列車で湯檜曽駅に向かうため、地上ホームに戻りました。
上から見下ろしても、下から見上げても長く感じる斜坑です。 左側にエスカレーターを増設する予定もあったようですが、利用者数減少により消えてしまったようです。
上記写真左側に移っているコンクリート箱は、高圧線や信号線などが入っているようです。
下っている時は気がつきませんでしたが、段数プレートが設置されていました。
斜坑の階段は5段毎に1mほどの平面で区切られています。
連絡橋の屋根のふちに「ようこそ土合駅へ」の文字が見えます。
階段を400段近く上った所で、ようやく歓迎されますX(
トンネルからの風圧を流す機構です。筒石駅にも同じようなものがありました。
地上に出て、駅前に直ぐに見えるのが、菊富士食堂です。もちろん営業は行っておらず、廃墟と化しています。
国道に出ると、連絡通路がよく見えます。反対側の写真
湯檜曽川を渡る通路は屋根がカマボコ状になっています。
山に突き刺さっている箇所から斜坑が始まります。
魚を釣っている人がちらほらと居ました。
国道を北上すると、上り線の踏切に当たります。左(北)方面には清水トンネルがあります。
清水トンネルの入り口が見えます。
踏切から駅方面です。谷の狭間に作られた事が伺えます。
二年ぶりに土合駅を再訪問しました。 前回は夏でしたが、今回は冬となります。
トンネル中は、運転時の視界の影響で前面にカーテンが閉じられてしまいますが、国鉄115系の一部列車は右側に窓があるため前面を見る事ができます。 土樽駅を出てすぐに、清水トンネル(左)と新清水トンネル(右)に分かれます。
土合駅側出口付近に、かつて使われていたと思われる茂倉信号場がありました。 新清水トンネルが開通した後は利用されておらず、分岐器は取り払われているように見えます。
土合駅下りホームに到着。 前回の写真と見比べると分かりますが、ホームの高さがアスファルトでかさ上げされています。
冬ということで、雪が50から100cmほど積もっていました。 無人駅ですが、ちゃんと雪かきがされていました。
雪が積もっている土合駅舎。 雪対策のため、前面に塩ビ波板が設置されていました。
前回撮影を忘れていた、駅舎入り口の板。
雪が積もっていて、駅名が隠れてしまっています。
祝日でしたが、12:45頃に上り線をEH200機関車と貨物が通過しました。
防風ついたてを駅舎側から見た写真。
越後中里・土樽間のループ線です。右にずっと曲がっています。
JR上越線清水トンネル(南魚沼郡湯沢町・群馬県利根郡みなかみ町)/にいがた土木構造物めぐり /土木学会関東支部新潟会
http://www8.ocn.ne.jp/~hnnihon/introduction/article/007/art007.html
Canon EOS 5D Mark II
SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 II DG HSM
Canon TS-E17mm F4L
Canon EF28mm F1.8 USM
Canon EF35mm F1.4L USM
Canon EF50mm F1.4 USM
Canon EF85mm F1.8 USM
Canon EF135mm F2L USM
三脚
探索日 2012_06_30
初出 2012_09_09
再訪問日 2014_02_11
再訪問レポート初出 2014_02_16